24 時間の瞑想術

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マインドフルネスとヴィパッサナー瞑想について・蝶入門編

みなさん、こんにちわ。

今日は、マインドフルネス、あるいはヴィパッサナー瞑想と呼ばれる、心を穏やかにし、日々を生き生きと暮らすための技法について、入門的な内容をご紹介したいと思います。

ヴィパッサナーというのは、もともとインドの言葉で「ものごとをありのままに見る」といったような意味で、お釈迦さまこと、ゴータマ・シッダルタさんが教えた瞑想法の一つです。

それに対して、マインドフルネスという言葉は、インドのサティという言葉を英訳したもので、日本語で言えば「気づき」とでもなりましょう。漢訳の仏教では「念」と訳されています。

アメリカなどでは、マインドフルネスという言葉が使われることが多いのですが、「ヴィパッサナーという方法を使ってマインドフルネスの状態を実現する」といった関係になりますので、同じことを別の角度から見て表した、表裏一体の言葉と言えます。

ぼくは、S. N. ゴエンカさんというインドの方が始められたヴィパッサナーの瞑想センターの方式で、この伝統的な瞑想法を練習していますので、この記事ではこれ以降、ヴィパッサナーという言葉を使うことにします。

なお、具体的な方法は、マインドフルネスと呼ばれるものとヴィパッサナーと呼ばれるものでは違いがありますし、ヴィパッサナーと呼ばれるものでも、スリランカスマナサーラさんのやり方や、タイのチャルーンサティなど、それぞれに特徴があり、目指すところは一緒でも、実際の練習方法は、いろいろと異なります。
(各系統についてはこちらの説明が、簡潔で分かりやすいと思います。http://ameblo.jp/metta-salla/entry-12011245257.html)

ですから、ここで紹介するのは、あくまでもゴエンカさん方式のヴィパッサナーということになります。

  *  *  *

ゴエンカさん方式のヴィパッサナーの大きな特徴は、
「呼吸と自分の体に起こる感覚をただ見ていくだけで、徐々にエゴが落ちていき、今までの人生の中で気がつかないままに作り上げてきた『精神的なもつれ』が解けていくこと」
にあります。

実際の練習内容としては、呼吸と体の感覚を見続ける中で、

・この世のあらゆるものは変化し続けていること(無常)、
・自分という感覚は、エゴが作り出したフィクションにすぎないこと(無我)、
・変化するものや自分という感覚にしがみつくことが、ストレスを生み出したいること(苦)、

というお釈迦さまの教えを、実感を持って体得していくことを目指します。

ゴエンカさんの瞑想センターでは、十日間(前後に一日ずつあるので、全部で11泊12日)の泊まり込みコースで、ここまでの内容を濃縮して体験することになります。

朝四時起床で、夜九時の就寝まで、ほとんど座りっぱなしと言ってもいいくらいの時間割ですので、軽い気持ちで受けるわけにはいきません。

けれども、もしあなたが、自分の人生を変えたいと、真摯に願っているのなら、思い切ってこのコースを受けてみることで得るものは多いと思います。

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ぼくは初めての十日コースを五年前にインドのプシュカルという街のセンターで受けました。

それまでは、自分なりに時々座っていて、一時間程度は座を変えずに座れるくらいの経験があったのですが、一日中座り続けるのは、想像を絶する苦痛でした。

一日目をなんとか終えて、これ、ほんとにあと十日続けられるかな、と思い、二日目も、三日目も同じ思いが続き、四日目くらいでようやく十日間続けられそうだと思えるようになりましたが、まったくの地獄と言っていいほどの十日間でした。

けれども、終わってしまえばすっきりとしたもので、たまにやる一時間の瞑想と、十日間みっしりやる瞑想の違いを通して、量の違いが質の違いになることを実感しました。

これは苦労して受けた甲斐があった、と思いました。

そのときは、また受けたい、とは思いませんでしたけれども(笑)。

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十日間のコースは、最初の三日はアナパナサティと言って、呼吸を見続ける練習をします。

ゴエンカさん方式では、自然な呼吸を続け、鼻の下と上唇の上の小さな三角形の部分に意識を向けることで、心を落ち着かせ、精神を集中させます。

呼吸を見続けるとは言いますが、実際には、目を閉じて、呼吸だけに意識を向けているつもりが、いつの間にか心はふらふらとさまよいだして、組んだ足が痛いな、とか、あとどれだけ座ればいいんだ、とか、様々な雑念が湧いてきます。

雑念が湧くのは、まったく自然なことなので、それを悪いことだと思う必要はなく、雑念に気がついたら、呼吸に意識を戻します。そうして、また、いつの間にか雑念が湧いてくるので、それに気がついたら、ふたたび呼吸に意識を戻します。

これを淡々と繰り返していくのです。

ちなみに、ぼくの場合、鼻の下と上唇の上の三角形の部分に意識を集めるのが難しく、そこに起こる感覚というのが、どうしても感じられません。それで、吸う息と吐く息が鼻の穴を通るときの感覚に集中することで、その代わりとしていました。

こういうことは本当は、コースの指導をしてくださる先生に聞いたほうがいいのでしょうが、英語でのやりとりがむずかしかったので、自己流でやっていた次第です。

  *  *  *

三日間呼吸を見続けることで、ある程度の精神の集中力を養ったあとで、後半の七日間は、体の感覚を見ていきます。

頭のてっぺんから順番に、体の各部分にどんな感覚が感じられるか、あるいは感じられないか、少しずつ丁寧に見ていきます。頭、首、お腹の側、背中の側、右手、左手、右足、左足、といった具合です。

慣れてくれば、両手を同時に順番に見ていき、両足も同様です。

上から下までスムーズに見ていけるようになったら、今度は下から上に見ていきます。

上から下へ、下から上へと、繰り返し見ていくわけです。

このときも、体の感覚を見ているはずが、ふとしたはずみでいろいろな雑念が起こり、いつの間にか考えごとをしている自分に気がつくことでしょう。

気がついたら、体の感覚に戻ります。

痛みやかゆみ、暖かさや冷たさ、ぴりぴりとした感覚、もやもやとした感覚、様々な感覚が感じられることでしょう。

そうした感覚に対して、心地良いとか、不愉快だ、とかいう気持ちが起こってくるわけですが、そこで、快・不快という気持ちに振り回されることなく、ただただ感覚を見ることを続けます。

感覚が起こり、やがて去っていく、その様子を淡々と見続けるのです。

そうやって、自分の体に起こる感覚を通して、

・この世のすべてのものは変化し続ける(無常)
・自分というのは、ばらばらな感覚の集まりをエゴという袋でひとまとめにしたものにすぎない(無我)
・変化を続けるものや、エゴにとらわれるとストレスが生まれてくる(苦)

という事実を、体得していくのです。

  *  *  *

なぜこのように、呼吸と自分の感覚を丹念に見ていくだけで、エゴが落ちていき、今までの人生の中で気がつかないままに作り上げてきた精神的なもつれが解けていくのでしょうか。

その理由は、「気がつかない」で作り上げてしまってきた「もつれ」に、「気がつく」ことができれば、今度はその「もつれ」を解いていくことができるようになるからです。

たとえば誰かが、不注意にもあなたの大切にしているカップを割ってしまったとします。

あなたはカップが割れたことを悲しく思ったり、割った人に対して怒りの気持ちを抱いたりするかもしれません。

このとき、悲しく思ったり、怒ったりするのは、まったく「自動的」な反応です。

「悲しくなってやろう」と思って悲しんだり、「怒りをぶつけてやろう」と思って怒ったりする人はいませんよね。

そして、この「自動的」な反応に振り回されて、あなたは精神的なもつれを作り上げてしまうのです。

ヴィパッサナーの練習を続けることで、「気がつく」こと、「マインドフルネスであること」が身についてくると、カップを割られて怒りが湧いてきたときに、「あっ、自分は今怒ってるな」ということに気がつけるようになります。

そのとき例えば、怒りで体がこわばっているのに気がつくかもしれません。

体と気持ちは密接に関係しています。強い感情が怒っているときには、必ず体にも何らかの反応が現れているはずです。瞑想の練習をしていくことによって、その体の反応に気づけるようになるのです。

実を言えば、ぼくたちは体の反応を感じることで、自分の気持ちを初めて知るのです。

ですから、ヴィパッサナーによって、体の感覚に敏感になることによって、ぼくたちは自分の気持ちをよく知るようになり、結果として、自分の気持ちに振り回されることが減っていくのです。

悲しみや怒りに振り回されているときには、大切なカップが割れた、という事実に圧倒されて、割った相手を許せない気持ちにとらわれてしまうかもしれません。

けれども、悲しみも怒りも、やってきては去っていくものであり、そうした感情を揺さぶられる経験も、あなたの人生を形作るエピソードの一つにすぎないことに気づくとき、「今まで自分を楽しませてくれたカップが割れてしまって、今はもうない」という事実を落ち着いて受け入れ、割ってしまった相手を許すだけの心の余裕が生まれてくるのです。

  *  *  *

カップが割れることは、人によっては小さなことかもしれません。

けれども、そうした小さなことの積み重ねが、わたしたちの人生を作り上げているのであり、一見些細にしか思えない気持ちの行き違いが積み重なっていったとき、感情が一気に爆発したり、あるいはそれが社会全体の規模で積み重なったときに、戦争が起こったりするのではないでしょうか。

ゴエンカさん方式のヴィパッサナーは、ただ座って、呼吸と体の感覚を見るだけの、単純きわまりないものです。

けれども、このシンプルな方法が、あなたの心のもつれをほどき、日々を幸せな気持ちで生きていけるようにしてくれるのです。

そして、あなが幸せな気持ちで生きるとき、周りの人も自然と、幸せな気持ちを感じながら生きられるようになるはずです。

ただ、座って自分を見つめるという、小さな人間の静かな行為が、この世界に平和をもたらしうる力を秘めているのです。

ここに仏教と瞑想の真髄があります。

  *  *  *

この文章を読んでヴィパッサナーに関心を持たれた方には、ぜひ実際に瞑想の練習をしてみることをおすすめします。

はじめは、朝起きたときや、夜寝る前に、五分か十分でもかまいません。

自分の呼吸に意識を向けて、吸う息、吐く息を見つめてみてください。

座禅の形で座るかどうかも、必ずしもこだわる必要はありません。椅子に座ってもいいですし、布団の中で寝っ転がってやってもかまわないのです。

いつもは考えごとでいっぱいの頭を、毎日五分の瞑想を淡々と続けることによって、少しだけ空っぽにしてあげてください。

これを続けるだけでも、あなたの人生は確実に変わるはずです。

そうして、少しずつ時間を増やしていって、一時間くらい楽に座れるようになったら、ゴエンカさん方式の十日間コースに参加してみるのもいいでしょう。

日本では京都と千葉にセンターがあり、そこで十日間の合宿コースを受けることができます。両センターを運営している日本ヴィパッサナー協会のページはこちらです。

・[日本ヴィパッサナー協会]

また、
ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法
という本も出ています。
こちらを読めば、ゴエンカさん方式のヴィパッサナーの全体像が把握できると思います。

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長い文章に最後までおつき合いいただき、ありがとうございました。

みなさんの人生が、幸せな気持ちに溢れ、充実したものとなるよう、心よりお祈りします。

以上、ぷちウェブ作家のとし兵衛がお送りしました。
それでは、またーっ。

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