24 時間の瞑想術

気軽に、気楽に、瞑想を。

瞑想をしていると雑念が湧き上がってきて困ってしまうあなたへ

瞑想をしているとき、雑念が湧きすぎて、座り続けるのが苦しくなったことはありませんか。

雑念が浮かび続け、それを打ち消そうとしても打ち消すことができず、呼吸に意識を向けても、すぐまた雑念が浮かんでしまいます。

その繰り返しにうんざりしてあなたは、「あー、苦しい、こんなことはもうやめたい」と思います。

あなたが「苦しい」と思うとき、そこには「苦しんでいる自分」がいます。
けれども「苦しんでいる自分」というのは、あなたの頭が作り出した蜃気楼のようなものにすぎません。

「苦しんでいる自分」は確かにいるのに、どうして蜃気楼のようだと言えるのでしょうか。

雑念が浮かぶのは自然なことです。雑念を嫌う必要はありません。けれどもあなたは、「雑念の浮かばない無念の境地」という理想像を追い求め、その理想とは程遠い自分の姿に嫌気が差しているのかもしれません。

あなたが頭に描いた「理想像」は、実在するものではありません。

あなたの頭が勝手に作り出した幻です。

ところがその幻と現実の自分の姿を見比べて、そのギャップを不快に思い、あなたは勝手に「苦しくなっている」のです。

幻から作り出された「苦しみ」は、やっぱり幻みたいなものですよね。

「苦しみ」が幻なら、「苦しんでいる自分」も幻ということになります。

「苦しい」という思いの原因が、

  • 「現実」と「理想」のギャップにあること

を冷静に見つめ、そのギャップを「不快」に思っているために、「苦しい」という思いが引き起こされている様子をリアルタイムに観察できるようになると、

  • 「不快だからといって、苦しく思わなくてもいい」

ことが分かるようになります。

「頭に描いた理想通りにはいかない」ということを落ち着いて観察し、「この世はままならないものだ」という当たり前の現実を直視するとき、

  • あっ、またいらいらしてるな、とか
  • また、不快感がやってきたな、

と落ち着いて自分の気持ちを見つめることができるようになります。

そして、「苦しい」と思ってしまっても、「苦しんでいる自分」という幻が浮かんだな、と観察し、それがやがて消えていくところも観察してやるのです。

こうした練習を繰り返しているうちに、雑念が湧いてくることが気にならなくなり、無理やり雑念を抑える必要がないこともはっきりと分かり、昔ほど雑念に振り回されることがなくなっている自分に気がつくことになるでしょう。

「ローマは一日にしてならず」、そして「瞑想も一日にしてならず」です。

気がついたときに「三回深呼吸」するだけでも、一呼吸ずつ丁寧に見ていけば「立派な瞑想」になります。

気長に続けて、「瞑想の果実」である幸せを身につけ、周りの人にもお裾分けできるようになってください。

てなことでみなさん、ナマステジーっ♬

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ウィリアム・ハート「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法」(1999 春秋社)

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